あん耕先生ってこんな人
大学卒業後、鉄鋼の会社に就職しました。製造所の工程・生産管理の仕事だったのですが、その時に先輩からスクーバ・ダイビングに誘われて、最初は趣味でやっていたのですが、そのうちインストラクターの資格を取るようになり、気づいたら29歳で会社を辞めダイビングのスクールを経営するまでなっていました。
当時、最初に就職した会社が円高不況で45歳以上の人に対し希望退職を募っていました。僕は工程管理をやっていたので、現場の仲の良い大先輩達から相談されることが度々ありました。ただ当時は20代でしたので何も応えることもできず、「会社って不況になると辞めさせられるのか・・・」と複雑な気持ちになりました。
若かっということもありましたが、会社の業績等に自分の人生が左右されてしまうなら自分の興味あることをやっていこうと、後先考えずに踏み出してしまった感じです。
約6年在職しましたが業務の効率・時間・コスト管理意識が身に付き独立後の仕事に大変役に立っています。
スクーバ・ダイビングでの独立に向けて経験を積む必要があったので東京とサイパンでショップ経営をしているダイビング・サービスにお世話になり東京・サイパンでそれぞれ一年ほど働かせていただきました。海に潜るだけでなく商品の仕入、在庫管理、売上管理など担当させていただきました。
ダイビングショップを経営される方はお店の経営はもちろん自然の中で生きることが好きな人が多いのですが、僕の場合は鉄鋼の会社で身に着いたのか、数字を管理するというか、経営することが楽しく売り上げを伸ばし頑張っていました。
その中でアメリカに本部を置くスクーバ・ダイビングの教育機関で仕事をさせていただく機会があり5年ほど自社を離れインストラクターの養成、専門学校、大学でのスクーバ・ダイビングを授業として導入する仕事を担当しました。自社に戻ったのち、伊豆半島にも宿泊施設を兼ねたお店をもう一店舗オープンしました。
伊豆半島のお店は賃貸だったのですが、ある時、裁判所の方が来られて、「この物件は競売になりましたので半年以内に退去ください」と言われびっくりしたことがありました。更には保証金も返金されないという事を言われ、「どういうことなんだ?」と裁判所に出向いたりして不動産の勉強を始めました。
不動産は素人だったのですが、近隣の価格を調べたり不動産鑑定士に依頼したりして、最終的にはその競売物件を自分が落札するまでになりました。
もともと何か一つの事を始めるとハマるタイプで、競売がきっかけで不動産の勉強もハマってしまい、”宅地建物取引士”の資格を取得しました。模擬試験で全国1位を取るなど成績も良かったため、資格取得スクールの講師も並行してやるようになりました。人に教えるという点では、ダイビングスクールも資格取得学校も同じでしたので違和感はありませんでした。
その後、ダイビングのお店を譲渡し、住宅ローンアドバイザー、不動産コンサルティングマスター資格を取得しました。ダイビングの次の目標は不動産コンサルタントとして独立しようと考えていたので経験を積むため不動産管理会社に就職しました。在職中に管理業務主任者、マンション管理士の資格も取得しました。
不動産会社に就職して3年経過した頃、親族の会社の経営を依頼されました。不動産コンサルタントとしての独立ではなかったのですが類似の仕事だと思い引き受けました。本業は建築会社でその業務を終え賃貸マンションやオフィスビルの賃貸等、保有資産を貸して収益を得る資産管理会社という感じでした。ただ、引き継いだ時は数億の借入がありうまく経営するには返済計画をどのようにしてくかが課題でした。
そのために減価償却が多く取れる海外(ハワイ)の不動産を買ったり、遊休地を活用してソーラー売電事業を始めたりと何とかやりくりして借入を返すことができました。
その時に節税の方法や修繕の経費計上、保険の活用など自分で考えて税理士に相談したり、ファイナンシャルプランナーの資格を取得したりしてお金の勉強をしました。中小企業ですので経理、給与計算、年末調整、社会保険の手続も自ら実務をしていたのでだんだんとお金のことに詳しくなっていったと思います。
スクーバ・ダイビングは勿論、登山も最近はじめました。フルマラソンやウルトラマラソン(100㎞)にもコロナ前はでていました。いまでも体力づくりのベースに月間走行距離を決めこつこつとランニングをしています。
会社勤めをされていらっしゃる殆どの方が給与明細を見ても天引きされた後の金額が実収入ですよね。もちろん労働で収入を得ていくのが基本ですがそこにプラスアルファで年金、節税、投資なども含めて知っているのと知らないのとでは生活に大きな差がでます。日常生活の中で自分で勉強していくのはなかなか大変だと思います。そんな方のお力になれれば幸いです。